東京高等裁判所 昭和29年(ネ)63号 判決 1955年1月21日
控訴人(附帯被控訴人) 白井亀一郎
被控訴人(附帯控訴人) 奥村栄正
主文
原判決を次のように変更する。
控訴人は被控訴人に対し金三万五千円及びこれに対する昭和二十七年四月二十七日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。
被控訴人のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。
この判決は被控訴人勝訴の部分にかぎり被控訴人において金一万円の担保を供するときはかりに執行することができる。
事実
控訴代理人は原判決中控訴人勝訴の部分を除きその余を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決及び附帯控訴につき附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決及び附帯控訴につき原判決を次のように変更する、控訴人は被控訴人に対し金七万六千九十四円三十銭及びこれに対する昭和二十七年四月二十七日から支払ずみまで年六分の金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とするとの判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の主張<立証省略>はすべて原判決事実らんに記載されたとおりであるから、ここにこれを引用する。
理由
控訴人が被控訴人から昭和二十三年八、九月頃から昭和二十四年一月末日までの間に化粧品を買受けその代金額が計算上十万余円となること、被控訴人が右売掛代金請求のため控訴人を相手取つて長野地方裁判所上田支部に訴を提起したこと、控訴人は終始右代金債務に対してはその所有家屋を被控訴人に金十五万円で売渡しその家屋売渡代金は先に控訴人が被控訴人から受取つた化粧品をもつて支払う契約が成立したから右化粧品の代金支払債務は当然消滅したと主張したこと、右訴訟の第一審においては控訴人の右主張が認められて被控訴人は敗訴したこと、そこで被控訴人は東京高等裁判所に控訴し、右控訴人所有の建物は右売掛代金を担保するため売渡担保に供せられたものであると主張し、これが認められて第二審は被控訴人の勝訴となつたこと、被控訴人が右訴訟の第一審においては弁護士植松棟一郎を、第二審においては弁護士滝沢斉をそれぞれ訴訟代理人として委任したことは当事者間に争なく、成立に争ない甲第四十六号証、同第四十七号証の各記載によれば、控訴人は右訴訟の第二審の判決に対し上告をしたが昭和二十七年四月三日右上告を取下げ、前記第二審の判決が確定したことは明らかである。
被控訴人の控訴人に対する右売掛代金債権は金十万一千五百七十二円八十銭であることが前訴訟において確定せられたこと、控訴人は被控訴人に対する前記売掛代金債務の支払に苦慮し、被控訴人から品物を廻してもらえなくなるおそれがあつたので、自己所有の家屋を売却してこれを弁済しようとしたが成功せず、たまたま被控訴人との間に右家屋を売渡担保とし品物の掛売を継続する契約が成立するや、これを奇貨とし、右契約が単純な家屋の売買契約ではないことを熟知しながら右家屋を控訴人が被控訴人に売却したような書面を故意に作成してこれを被控訴人に交付したり、さらに被控訴人から控訴人に廻す商品の受取証に建物の売渡代金の内金として商品を受取つた旨記載しこれを小野田小芳をして被控訴人に持参交付させ故意に右家屋の売買が成立したもののように作為し被控訴人をして右家屋を買取らせたことにしようと企て、被控訴人がしばしばこれを拒絶し代金の支払を請求しても控訴人はこれに応ぜず、被控訴人をしてこれが請求のため弁護士を依頼し訴訟を提起するのほかなきにいたらしめ、この訴訟においても故意に右の主張をくりかえし右の書面等を証拠として提出し、第一審において勝訴し、被控訴人をして控訴のやむなきにいたらしめ、第二審においてようやく被控訴人勝訴の判決があつたものであること、被控訴人は右訴訟において植松弁護士に手数料として金五千円、滝沢弁護士に手数料・成功謝金及び費用として合計七万五千円を各支払つたことは、それぞれ原判決の理由に説明するとおりにこれを認め得るところであるからこの点に関する原判決の理由を引用する。
被控訴人は被控訴人がこれら弁護士に支払つた右金員は控訴人の不法行為にもとずく損害であるからその賠償を求めると主張する。よつて按ずるに先ず前認定の事実によれば被控訴人が控訴人に対して前記の訴訟を提起し、これについて弁護士に手数料等を支払つたのは控訴人が故意に被控訴人の権利を否認し任意にその履行をしない結果であることはいちおうこれを認めなければならない。しかし債権者が債務者に対して一定の債権を有するとき、債務者が任意にその履行をしないならば、債権者はその権利の実現を得ようとするには必ず訴をもつてその履行を請求しなければならないのは今日の制度であり、債務者の不履行が故意に不法に権利を否認するに出るのであると漫然履行をしないでいるのとで差異あるわけではない。従つて訴の提起そのものによる出費は、相手方の不履行という一事によつて免れがたいところであり、訴訟法に定めるものの外は、直ちに相手方の不法行為と因果関係あるものとしてこれが賠償を求め得るものとは解し難いところである。しかしいつたん訴を提起した後に、相手方が故意もしくは過失によつて不法にその権利を争い、そのため訴訟の解決が延び、権利者が余分の手数を煩わされ、従つてこれについて余分の出費を余儀なくされるにいたるならば、かかる出費で訴訟法に定めるもののほかのものは、右相手方の不当な抗争という不法行為にもとずく損害としてその賠償を求め得べきものといわなければならない。けだし訴訟を提起せられたものはこれに応訴すること自体は本来その自由であるけれども、いやしくも自己にこれを拒むべき理由のないことを知りながら、もしくは知り得べきに過失によつてこれを知らずしていたずらにこれを争うことは許されないものというべきであるからである。これを本件について見るに被控訴人は前記訴訟の第一審においては植松弁護士に手数料として金五千円を支払つたことは前認定のとおりであるが、弁護士に訴訟を委任して訴を提起するにあたり支払うべき手数料は事件の勝敗にかかわらず、あらかじめ支払われるべきものであることは当裁判所に顕著であつて、これをもつて控訴人の不当な抗争にもとずく損害とすることはできない。もつともその手数料は訴訟物の価額、事件の難易の見とおし等により決定されるものではあるが、本件の場合の右手数料はその訴訟物の価額に比すればむしろ通常の経過をたどつて完結すべき場合のものと解せられ、控訴人が不当に抗争すべきことが予想せられたために特に通常以上に多額であつたものと解すべき根拠はない。また権利実行のため訴を提起するについては訴訟の難易にかかわらず弁護士に委任することは今日一般の通例とするところであるから、控訴人の不当抗争が予想せられたため、そうでなければ被控訴人自ら訴訟を追行すべきものを特に弁護士に委任したという特段の事情の認められない本件においては、右弁護士に支払つた手数料をもつて直ちに控訴人の不法行為にもとずく損害といい得ないこと前記説明からおのずから明らかである。そのほかに特に控訴人の不当な抗争のため被控訴人が第一審において余分の出費を余儀なくされたことは被控訴人のなんら主張立証しないところである。従つて被控訴人の右植松弁護士に支払つた手数料を控訴人の不法行為にもとずく損害として請求するのは失当である。
次に被控訴人は第一審における控訴人の不当な抗争の結果敗訴したので、滝沢弁護士に委任して控訴し第二審においてようやく勝訴の判決を得たことは前記のとおりである。控訴人の不当抗争の事実がなければ被控訴人は第一審において勝訴すべかりしものであることはおのずから明らかであり、第二審において被控訴人の出費した金員は控訴人の不当な抗争と相当因果関係あるかぎり控訴人の不法行為にもとずく損害としてこれが賠償を請求し得べきものである。成立に争ない甲第五号証、同第十五ないし第二十四号証によつて考えれば被控訴人が第二審において滝沢弁護士に支払つた着手金手数料二万円中金一万五千円、成功謝金四万円中金二万円合計金三万五千円は右第二審の訴訟委任によつて支払うべき相当な金額と認められるので、これはひつきよう控訴人の不当な抗争にもとずく損害といい得べきものである。被控訴人はこのほかにも同弁護士に諸雑費として金五千円を支払つたとしてこれをも請求するところ、原審における被控訴人本人尋問の結果(第二回)成立を認めるべき甲第二号証及び右本人尋問の結果をあわせれば、右金五千円は右訴訟の第二審において長野県の現場の検証及び同所における証人尋問立会のための同弁護士の旅費日当宿泊料合計一万二千円の一部であることがうかがわれ、一方成立に争ない甲第四、第五号証の記載によれば前記訴訟の第二審判決においては「訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(本件控訴人)の負担とする」とされているもので、その訴訟費用中には訴訟代理人の現場立会のための旅費日当宿泊料が含まれることは明らかで、現に被控訴人もこれが重複するもののあることを認めていることをうかがい得るところであるから、本件において被控訴人の主張する右金五千円が前記判決で認められた訴訟費用以外のものにかかることは、被控訴人の立証によつては明らかにし得ないところである。従つて右費用五千円についての請求は失当である。
被控訴人はさらに前記売掛代金訴訟において請求した金十万千五百七十二円八十銭に対する昭和二十四年二月一日から昭和二十五年二月十日までの年六分の損害金を本訴においてさらに請求するけれども、その請求の理由のないことは原判決の理由の説明するとおりであるから、ここに右理由を引用する。
しからば控訴人は被控訴人に対し右金三万五千円及びこれに対する被控訴人の請求の後であること前記甲第四号証により明らかな昭和二十四年四月二十七日から支払ずみにいたるまで、年五分の遅延損害金(被控訴人は商事法定利率年六分によりこれを求めるけれども本件は不法行為にもとずく損害賠償請求であつて、その利率を年六分とすべきなんらの理由はない)を支払うべき義務があり、これを求める被控訴人の本訴請求は右の限度で正当として認容すべく、その余は理由のないものとして棄却すべきである。よつてこれと異なる原判決を右のように変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)